本をめぐる冒険

読んだ本の感想などを書いてみるブログ。

『雪国』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は川端康成さんの『雪国』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、

「駅長さあん、駅長さあん。」

 明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

 

〇感想

 川端康成の代表作『雪国』は、印象的な美しい情景から始まります。この一文は、数ある古典小説の中でも最も有名な書き出しの一つですね。本作の舞台は、新潟県の越後湯沢だと言われています。実際に冬に東京から新潟に向かうと、トンネルを抜けた瞬間に一面まっ白な世界が広がります。本当に別世界に来たように景色が切り替わるのは、『雪国』の冒頭そのままです。本作では、他にも美しい情景描写がたくさんあります。個人的には、汽車の窓の景色とガラスに反射した車内の景色とが重なるシーンが印象に残りました。何気ないシーンですが、巧みな描写により非常に美しいシーンに変わります。

 本作には、雪景色以外にも雪国を感じさせるところがたくさんありました。駒子が「お蚕さまの部屋」と呼んでいたのは、蛾の幼虫であるカイコを育てるための部屋のことです。冬場に農作業のできない雪国では、室内でもできる織物産業が発展しました。同時に、その原料となる糸を作るために養蚕も盛んでした。着物を着なくなった現代では廃れてしまいましたが、かつてはこれらも雪国ならではの光景でした。他にも、鳥追いという正月の行事や、雁木と呼ばれるアーケードなど、昔懐かしい景色の描写が多くて楽しめました。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『蟹工船』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は小林多喜二さんの『蟹工船』を紹介します。

 

 

〇書き出し

「おい地獄さ行ぐんだで!」

 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。——漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。彼は身体一杯酒臭かった。

 

〇感想

 『蟹工船』は、なんとも薄気味の悪いセリフから始まります。強い訛りがあり、エクスクラメーションマークの付いた強い語調です。しかもその行き先は「地獄」。この一言だけで不気味な世界観に引き込まれてしまいそうです。舞台は蟹工船と呼ばれる、カニをとって缶詰にする工場を備えた漁船です。そこは、出稼ぎ労働者たちが詰め合わせたように乗り込んでいる劣悪な環境でした。作中では、まるで豚小屋や糞壺のようだとも形容されています。監督と呼ばれる上司は、労働者たちを一人の人間ではなく金儲けの道具としか見ていません。労働者たちはそこで罪人のように過酷な労働を強いられます。冒頭のセリフの通り、まさに地獄のような労働環境でした。

 資本主義では、一部の人間が莫大な富を儲ける一方、貧困から抜け出すことのできない大量の人々も生み出します。ブラック企業が社会的に問題視されながらもなくならないように、それは時代が変わった現代でも同じと言えます。

 ところで、本作では労働者たちが北海道・東北地方の方言を喋ります。方言が登場するだけで、親近感のようなどこか懐かしい気持ちが沸いてきます。陰惨な描写の多い本作でも少しだけ救われる気がしました。たとえ聞いたことのない方言あっても、意味はなんとなく通じてしまうのも不思議ですね。今度、各地の方言をテーマに本を読んでみたくなりました。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『舞姫』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は森鴎外さんの『舞姫』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、船に残れるは余一人のみなれば。

 

〇感想

 文豪・森鴎外の『舞姫』は、格調高さを感じる古文のような文体で始まります。残念ながら、現代人からすると普通に読むだけで一苦労といった感じですが。直訳すると「石炭はとっくに積み終えてしまった。」という感じでしょうか。本作が書かれた明治時代には、船と言えば石炭を燃料とする蒸気船が主流でした。幕末の黒船来航以降、日本でも産業革命が起こりました。作中ではブリンヂイシイ(ブリンディジ、イタリア南部の都市)からセイゴン(現ホーチミンベトナムの都市)まで20日余りだったと書かれています。インド半島をぐるりと回り、スエズ運河(19世紀後半に開通)を通って地中海に入ります。道中何度も停泊し、燃料である石炭を積み込む必要があったと思われます。現在は飛行機で18時間ぐらいで行けるそうですが、3週間もかけて船旅というのはかなり大変そうですね。そこまでの留学をさせてもらえるのはかなりのエリートだけだったでしょう。

 ストーリー的には、セイゴンの港に停泊した船の中で太田豊太郎という人物が5年前のことを日記に書いていく形式で進みます。ドイツに留学した太田は美しい舞姫・エリスと知り合い、二人はまもなく恋に落ちます。恋愛にうつつを抜かしていると見なされた太田は免官されるものの、友人の助けにより新聞社の通信員としての仕事を得ることになりました。やがてエリスは妊娠しますが、無情にも太田の帰国が決まってしまいます。気が狂ったエリスは精神病院に入れられ、太田は身重の彼女を残してドイツを去ることになり、冒頭のシーンに繋がります。仕事を取るか、それとも愛する人を取るかは、昔から続く悩ましいテーマです。一度はエリスとの関係を断つと約束してしまった太田の自業自得でもありますが、明治という時代を考えると自分のエゴを貫き通すのは並大抵ではなかったかもしれません。

 ちなみに、エリスにはモデルとなったエリーゼというドイツ人女性がいるそうです。鴎外を追って日本にやって来たと言われており、関連する本も何冊か出ているので、いつか読んでみたいですね。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『人間失格』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は太宰治さんの『人間失格』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定されることの写真であって、その子供が大勢の女のひとに取り囲まれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。

 

〇感想

 『人間失格』は、簡潔だがどことなく秘密めいた一文から始まります。まず「三葉」という写真の数え方が美しいですね。普段はあまり使わない言い方ですが、これぞ美しい日本語といった感じです。「その男」「写真を三葉」「見たことがある」と続くと、一体どういうことだろうと興味をそそられます。それを続く文章で具体的に説明していきます。1枚目は10歳くらいの子供の写真だそうですが、なぜか「醜く」笑っていると説明されています。2枚目は美男子の学生の写真ですが、やはり気味の悪い何かが隠れていると書かれています。3枚目は白髪の男の写真ですが、今度は特徴が感じられず不愉快になるとあります。以上は「はしがき」の内容で、この後にその男の生涯を書いた3つの手記が続きます。ひょっとしたら第一の手記の書き出しである「恥の多い生涯を送ってきました。」の方が有名かもしれませんね。こちらもいきなり読者の興味を引く一文ですね。

 太宰の遺作である本作は、心中を試みるも生き残ってしまったり、アルコールや薬物の依存に苦しんだ太宰の人生そのものを投影したストーリーになっています。葉蔵は幼少期から人間に対して恐怖を覚えており、彼の孤独は周囲の女を惹きつけ、破滅の道を進んでいきます。しまいには精神病院に入れられてしまいます。「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」と句読点を多用して書かれるシーンは、重い効果音を想像してしまうくらい印象的でした。

 全体的に暗い雰囲気の本作ですが、第一の手記には「メチャラクチャラ博士」や「ナンジャモンジャ博士」といった奇抜な名前が登場します。調べてみると、これらは大正時代に実在した雑誌「少年倶楽部」に登場するそうです。「少年倶楽部」には、大佛次郎江戸川乱歩といった大物が子供向けの長編小説を連載していましたが、のちに起こった漫画ブームにより、週間少年マガジンに合併されたと言うことです。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『桜桃』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は太宰治さんの『桜桃』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。

 

〇感想

 太宰治の『桜桃』は、印象に残る五七五から始まります。「私の家庭」の構成は、太宰という小説家とその妻、長女(7歳)、長男(4歳)、次女(1歳)です。今も昔も子育てには大変な苦労があり、夫は家事ができず酒を飲んで冗談ばかり言うばかり、妻は涙を流していることを訴えます。加えて、長男が未だに言葉を話すことができないということが、夫婦にとっては触れられない問題でした。夫婦は激しい喧嘩をすることはありませんでしたが、一触即発の張りつめた空気がありました。作中では「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。」と書かれています。この辺りの夫婦仲の難しさや子育ての苦労といったリアルさは、発表から70年以上経った今でも通じるものがありますね。

 本作のラストでは、太宰は妻と子を置いて酒屋に行き、大皿に盛られた桜桃を食べます。桜桃とはさくらんぼのことですこちらのページによると、日本にさくらんぼが入ってきたのは明治元年のことでしたが、初めは北海道や東北でしか食べられませんでした。そこから、おいしく日持ちしやすい佐藤錦の開発や、ヤマト宅急便の開始などにより、全国的に普及していったそうです。とは言え、作中でも触れられているように、太宰の生きた時代においてはやはり高級品だったと思われます。持って帰ったら子供が喜ぶだろうと思いつつも、まずそうな顔をしながら次々と口に運ぶ太宰の姿は、哀愁たっぷりですね。冒頭では「子供より親が大事」だと言い切らずに「、と思いたい」と付け、ラストの一文でも虚勢みたいに「子供より親が大事」とつぶやいて締めています。どうしようもない現実を嘆きながらも、理想を完全には捨てないところにどこか憎めない感じを受けました。

 ちなみに太宰治の命日であり誕生日でもある6月19日は、本作にちなんで「桜桃忌」と呼ばれており、墓がある禅林寺には今でも多くのファンが訪れるそうです。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『走れメロス』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は太宰治さんの『走れメロス』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

〇感想

 本作は小学校で必ず習う作品の一つで、タイトルもストーリーも非常にインパクトがあるので、記憶に残っている方も多そうです。あらためて書き出し部分を見ると、「メロスは激怒した。」と極めてシンプルな始まり方をしていることに気が付きます。その後の力強い文体も含めて、直情径行なメロスの人柄をよく表しています。また、最後の一文が「勇者は、ひどく赤面した。」で、対になっているのが面白いですね。

 小学校以来久々に読み返してみると、ストーリーに懐かしさを覚えます。今になっても記憶に残っているのは、この作品の持つ力強さのためでしょうか。それに加えて流れるようなテンポの良さからは、太宰治の文章力の高さを感じます。最後にメロスが何も考えずに走り続けるのは、ランニングハイのようなものかもしれません。それにしても、メロスとセリヌンティウスがお互いに「自分を殴れ」と言いあうところは、今読むと結構クサイ台詞ですね。

 ところでメロスはどのくらいのスピードで走ったのでしょうか。距離に関しては、文中でメロスの村とシラクスの距離は「十里」と書かれています。キロに直すと約40㎞です。時間はどうでしょうか。妹の婿は「葡萄の季節まで待ってくれ」と言っているので、季節は夏であることが分かります(葡萄の収穫は秋)。メロスが目を覚ましたのは「薄明の頃」、その後身支度をしてすぐに出発しています。そして刑場に着いたのは日没間際。シラクサの夏の日の出・日没時間を調べてみると、時間にすれば14時間くらいになるようです。つまり、時速3㎞のペースになります。・・・速さがどうこうよりも、たとえ死が待っていても向かったメロスは偉大ですよね。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

『羅生門』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は芥川龍之介さんの『羅生門』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男の他に誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

 

〇感想

 国語の教科書でもおなじみの『羅生門』は、時間帯を描写する短い一文から始まっています。名作の最初の一文は意外にもシンプルなものが多いですが、本作はその中でも飛びぬけてシンプルな一文です。この後に荒れ果てた都の説明がやや続くので、最初はあえて簡潔にしたのかもしれません。下人は不気味な夕暮れの羅生門にたどり着いたものの、かといって盗人になる勇気も持てずにいました。死人の髪の毛を抜いていた老婆とのやり取りの後、下人は老婆の服を剝ぎ取って逃げていきます。舞台設定も結末もかなり暗い感じを受けます。よく考えると、教科書にしては珍しく道徳的とは言えない結末です。結びの「下人の行方は、誰も知らない。」も、同じくシンプルな一文ですね。実は初出の時点では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」となっていたそうです。個人的にはやはり現行のバージョンの方が、想像の余地を残している感じがあって余韻がある気がします。

 本作の舞台である羅門は、歴史上実在した羅門をモデルにしています。794年に都となった平安京でしたが、南東部は途中から荒廃したまま放置されていたと言われています。平安時代は貴族による華やかなイメージがある一方で、重税により多くの庶民が困窮していました。格差社会という言葉は最近よく使われていますが、貧富の差自体は1000年以上前から存在していたみたいですね。貧困から追い詰められて犯罪に走るのは、どの時代にも共通かもしれません。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。