本をめぐる冒険

読んだ本の感想などを書いてみるブログ。

『桜桃』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は太宰治さんの『桜桃』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。

 

〇感想

 太宰治の『桜桃』は、印象に残る五七五から始まります。「私の家庭」の構成は、太宰という小説家とその妻、長女(7歳)、長男(4歳)、次女(1歳)です。今も昔も子育てには大変な苦労があり、夫は家事ができず酒を飲んで冗談ばかり言うばかり、妻は涙を流していることを訴えます。加えて、長男が未だに言葉を話すことができないということが、夫婦にとっては触れられない問題でした。夫婦は激しい喧嘩をすることはありませんでしたが、一触即発の張りつめた空気がありました。作中では「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。」と書かれています。この辺りの夫婦仲の難しさや子育ての苦労といったリアルさは、発表から70年以上経った今でも通じるものがありますね。

 本作のラストでは、太宰は妻と子を置いて酒屋に行き、大皿に盛られた桜桃を食べます。桜桃とはさくらんぼのことですこちらのページによると、日本にさくらんぼが入ってきたのは明治元年のことでしたが、初めは北海道や東北でしか食べられませんでした。そこから、おいしく日持ちしやすい佐藤錦の開発や、ヤマト宅急便の開始などにより、全国的に普及していったそうです。とは言え、作中でも触れられているように、太宰の生きた時代においてはやはり高級品だったと思われます。持って帰ったら子供が喜ぶだろうと思いつつも、まずそうな顔をしながら次々と口に運ぶ太宰の姿は、哀愁たっぷりですね。冒頭では「子供より親が大事」だと言い切らずに「、と思いたい」と付け、ラストの一文でも虚勢みたいに「子供より親が大事」とつぶやいて締めています。どうしようもない現実を嘆きながらも、理想を完全には捨てないところにどこか憎めない感じを受けました。

 ちなみに太宰治の命日であり誕生日でもある6月19日は、本作にちなんで「桜桃忌」と呼ばれており、墓がある禅林寺には今でも多くのファンが訪れるそうです。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。