本をめぐる冒険

読んだ本の感想などを書いてみるブログ。

『こころ』紹介

 明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。

 というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。

 さて、今回は夏目漱石さんの『こころ』を紹介します。

 

 

〇書き出し

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じことである。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。

 

〇感想

 漱石文学の中で最も有名な『こころ』の書き出しは、非常にシンプルな一文です。この一文を読むだけで、これから「先生」についての話が書かれるのだなと察することができます。また、「呼んでいた」と過去形が使われていることも、その後の伏線となっています。回りくどくて抽象的な始まり方ですが、その後の文章で先生について説明していくことで、読者の頭の中にも先生が出来上がっていきます。今回久々に読み返してみると、先生は最初から明らかに過去を隠している思わせぶりな態度で、なるほどと思うことが多かったです。『吾輩は猫である』は流石に古さを感じましたが、本作は今読んでも洗練された無駄のない文章だと感じました。

 今回気になったのは、最初の段落の末尾にある「余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。」の部分です。「先生と遺書」では、先生が残した長い手紙を読むことになるのですが、そこでは先生は友人を「K」という頭文字で記しています。裏を返せば、先生はKに対して「遠慮」や「余所々々しい」気持ちを持っていたと考えられます。Kは思いを寄せていた御嬢さんを先生に取られ、自殺してしまいます。その罪悪感が今も先生を苦しめていました。そうした伏線が冒頭からさりげなく語られていたことに、今回初めて気が付きました。何回読んでも新しい発見があるのが古典の面白さですね。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。