『吾輩は猫である』紹介
明けましておめでとうございます。
一年の計は元旦にあり、と言います。今年が良い年になるよう、お正月から良いスタートを切りたいですよね。小説においても初めの一文は重要で、良い書き出しはいきなりその世界観へと引き込んでくれます。
というわけで、新年一発目のテーマは『書き出し』です。
〇書き出し
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャーと泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
〇感想
『吾輩は猫である』の書き出しは、そのままずばり「吾輩は猫である。」です。本作を読んだことのない人でも、だいたい知っているくらい有名な書き出しですね。本作の語り手は、猫です。しかも、一人称が「吾輩」で、気位の高さも感じます。この一文目の時点で、すでにインパクトと面白さを感じます。苦沙弥先生に飼われることになった吾輩は、人間を観察したり、いろいろなことを考察したりします。小難しいことを語ったかと思えば、急に猫視点に戻ったりと緩急の付け方がうまいです。にゃーにゃーかわいらしく鳴いている猫が、内心でこんなことを考えていると思うと面白いですね。現代でもいろんなものが擬人化されていますが、八百万の神と言うように、日本人は昔から動物や物にも魂が宿ると考えるのが好きなのかもしれません。
吾輩のモデルは、漱石が飼っていた猫だそうです。猫が死んだときは知人に死亡通知を出したくらい、漱石は猫好きだったようです。確かに人間を観察していたり、どこか突き放したような感じは、人懐っこい犬よりも取り澄ました猫の方が合っている気がしますね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。