本をめぐる冒険

読んだ本の感想などを書いてみるブログ。

『ドライブ・マイ・カー』感想

 こんにちは。

 映画『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞にノミネートされて話題になっていますね。残念ながら映画はまだ見ていませんが、原作小説は前に一度読んだことがあり、これを機に読み返してみました。

 原作版『ドライブ・マイ・カー』は、『女のいない男たち』という短編集の一つ目として載っている作品で、まえがきによればこの作品を単独で最初に作り、同じようなテーマで作った他の5つの短編を加えて短編集となったそうです。タイトルの通り、男女の恋愛を軸にした、切ない雰囲気の作品が多いです。

 以下、作品のネタバレがあるのでご注意ください。

 

〇あらすじ

 舞台俳優の家福は事故を起こしたことから自分の車の運転を禁じられ、知人から『渡利みさき』という女性を紹介される。彼女の優れた運転と無口でぶっきらぼうな性格を気に入り、専属の運転手として雇うことになる。家福は助手席に座りながら亡くなった妻のことを思い出す。長年抱えてきた疑問とともに、過去を語りだす。

 

〇感想(ネタばれアリ)

 言いたいことを完全に読み切ったわけではないのですが、思ったことを書いていきます。

 僕が面白いと思ったのは『盲点が二重構造になっていること』です。

 まず、家福が事故を起こした理由は緑内障であり、右の隅にブラインドスポットがあることに事故が起こるまでずっと気が付かなかった、と語っています。

 一方、妻の心が分からないと言う家福に対し、妻の浮気相手である高槻からは、

『女の人が何を考えているか、僕らにそっくりわかることなんてまずないんじゃないでしょうか。・・・中略・・・もしそれが盲点だとしたら、僕らはみんな同じような盲点を抱えて生きているんです』

と言われます。またみさきからも、

『そういうのって病のようなものなんです、家福さん。考えてどうにかなるものではありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。』

と言われます。

 前半のブラインドスポットの話は、後半の他人の心が理解できるかという話のメタファーになっていると思われます。

 つまり、家福が事故が起こるまでブラインドスポットに気が付けなかったのと同じように、「他人の心を完全に理解することができないということ」に自分では気が付くことができなかったのです。それはあたかも自分の視界が完全であると思い込んでしまうのと似ています。

 ブラインドスポットがあるということを自分で認識することはまずできません。それは医者のような他者からの指摘によってはじめて認識されるものです。他人の心についても同様です。理解できないはずの他者からの指摘で、「自分には他人の心を完全には理解できないのだ」と気が付く、というのもなんだか皮肉な気がします。

 みさきのシフトチェンジが禍福には分からないという下りも同じような感じです。

 妻が浮気を始めたのが生まれたばかりの子供がなくなってからであると作中で語られていますが、その子供が生きていれば同い年であるみさきの口からそれが語られるのも暗示的ですね。

 また、家福が乗っているサーブ900コンバーティブルは左ハンドルです。つまり、家福が運転席に座るとき妻の座る助手席は右側になります。家福が視界の右側にブラインドスポットがあることを踏まえると、右側に座っていた妻の心が読めないことを暗に示唆している気もして面白いです。

 実は視界にブラインドスポットがあったというのも恐ろしいですが、読めていると思っていた他人の心に裏があったと気づいてしまうのも恐ろしいですね。

 

まとまりのない内容ですみません。

ここまで読んでくださってありがとうございました。