本をめぐる冒険

読んだ本の感想などを書いてみるブログ。

『りんごの木を植えて』紹介

 こんにちは。

 もうすぐ待ちに待った夏休み!夏休みと言えば、宿題の定番である読書感想文

 とは言え、あらためてまとまった文章を書くのはなかなか大変ですよね。ついつい後回しにして、最後に泣く泣くやることになるのはよく聞く話です。元学生の方には、今となっては懐かしい思い出かもしれませんね。

 というわけで、今月は今年(2022年)の課題図書に指定されている作品を読んでいきます。今回は大谷美和子さんの『りんごの木を植えて』を紹介します。本作は小学校高学年向けの一冊となります。

 

 

 

〇あらすじ

 みずほは優しいおじいちゃんが大好き。今日はおじいちゃんたちといっしょごはんの日。みんな楽しそうに過ごす中、おじいちゃんはあまり食欲がないみたいだった。後日、ガンが転移していたことが分かるが、おじいちゃんは積極的な治療を受けるつもりはないという。

 

〇私なりの感想文

 祖父母ともとても仲が良いみずほの一家でしたが、おじいちゃんのガンが再発したことが分かり、みずほたちは家族の死に向き合うことになります。身近な人との別れは誰にでも起こりうることで、どうやっても避けられないことでもあります。本作ではただ悲しみに嘆くのではなく、前向きに捉えていこうとしています。

 タイトルの『りんごの木を植えて』は、マルティン・ルターの名言「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はりんごの木を植える」から来ています。教会の腐敗を正そうとしたルターは、権力に逆らっても宗教改革を行いました。世界がどうであろうとも自分のすべきことをただやるだけ、というルターの意思の強さを感じますね。植える木がりんごであるのは、りんごを知恵の実と考えていていかにもキリスト教らしいです。

 この言葉は、本作の中でもおじいちゃんの言葉として登場します。おじいちゃんはみずほにとっては理解ある優しい祖父でしたが、基本的に頑固な性格で、積極的な治療は受けないことを決めます。治療を受ければ余命は延びるものの、副作用の影響で寝たきりになってしまいます。治療によってできるだけ延命するか、最期は生きたいように生きるのかはかなり難しい選択ですよね。死をどう捉えるのかは、生をどう捉えるのかと言い換えることができます。みずほのおじいちゃんは生きることの続きに死があると考えており、死をそれほど特別なものとは考えていない風にも思えます。それは先述したルターの言葉とも重なります。みずほたちと過ごしたり、好きな絵を描いたり、友人と会ったりすることそのものが、おじいちゃんにとって生きることであり、死を前にしてもこれまでと同じように生きたかったのだと思います。

 感想文を書くなら、もし自分がみずほの立場だったら?もしおじいちゃんの立場だったら?と考えて書くことになりそうです。自分が送る側だったら相手に生きていてほしいし、送られる側だったら最期まで自分らしくいたいし・・・。どの立場に立つかによって意見が違って難しそうです。自分だったら、もしくは自分の身近な人だったらどうするか。改めて考えさせられる機会となりました。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。