数学をめぐる冒険
こんにちは。
皆さんは「数学」と聞くと、何を思い浮かべますか?多くの人が抽象的で難しいと考える一方、他にはない論理的な純粋さや美しさを感じる人もいたりと、結構好き嫌いが分かれる分野です。また、一般的には小説のような文学とは対極にあるイメージだと思います。ですが、数学を題材とした本というのも実は数多く書かれています。
というわけで、8月は『数学』をテーマに何冊か本を読んでみました。
80分しか記憶を維持できない博士と家政婦の私、そしてルートの3人が、数学を通して友情を培っていきます。
犯人対探偵。数学教師対物理学者。
数学に魅せられた主人公が改暦という大事業に挑みます。
フェルマーの最終定理が生まれてから証明に至るまでを、関わってきた数学者の人生とともに追っていくノンフィクション数学。
数学者がアメリカに渡って苦悩し奮闘する旅行記。挫折からの再起が見どころです。
「数学界のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を受賞した小平邦彦さんが、数学、科学技術、日本の教育などについて語っています。
「すべてがFになる」の犀川創平と西之園萌絵が、数学者の館で起きた殺人事件に挑む理系ミステリー。
フェルマーの最終定理の美しい証明を求める青年と、核反応を察知した地球外生命体。アーサー・C・クラークの遺作でもあります。
数学要素をモチーフにした不思議な短編小説。第四次元に迷い込む。
作中作という形式と犯人当てにクローズアップした推理小説。タイトルに反して、文学少女と数学少女は仲良し。
たった一人でリーマン予想に挑む高校生が、長野の山村で起こる事件に関わっていきます。
数学に青春を捧げる高校生たちの熱い決闘。「数学世界」という考えが独特でした。
確率的にありえない事象により借金を背負った男が、ありえない事象を引き寄せることに。
放浪の数学者が眼球堂で起こる殺人事件に挑む理系ミステリー。
〇数学と物語と
一般的に小説と言えば文系、数学と言えば理系というイメージですが、数学を扱った小説も実はたくさん存在します。
数学小説においては、数学とストーリーのバランスが重要であると思いました。数学の厳密さを追求すれば読者は置いてけぼりになってしまうし、ストーリーを優先させすぎると数学は不要になってしまいます。その点では『博士の愛した数式』が最も自然に数学がストーリーに組み込まれていたと思います。素数の問題は読者にも分かりやすく、親しみやすいストーリーとマッチしていました。また、問題に対して解を求める数学はミステリーとの相性が良く、『容疑者Xの献身』や『眼球堂の殺人』などの名作も多かったです。数学者を天才的な人物の肩書として使うパターンも多い中、これらは数学そのものがストーリー上でも重要な役割を果たしているという点も特徴的でした。
今回読んだ作品には、どれも共通するテーマがありました。一つは、数学者は孤独であるということでした。数学は主に一人で考える学問です。現実の数学者も、難問を何年も考え続けるあまりノイローゼになってしまうことがあると言います。『若き数学者のアメリカ』でも似たようなケースが登場しました。
「数学は役に立つのか」というのも、多くの作品で登場するテーマでした。数学を勉強して一体何の意味があるのかは、誰もが一度は思ったことがある疑問なのではないでしょうか。小学生みたいな疑問ですが、だからこそ明確に答えられる人は少ないです。それぞれの主張の公約数をとると、「普段見えないところに数学は隠れていて、学ぶことによってそれに気が付けるようになる」というところでしょうか。個人的には『青の数学』に出てくる「それぞれの数学世界」という考え方が一風変わっていて面白かったです。
また、多くの未解決問題の中で、フェルマーの最終定理の人気が特に高かったのも新しい発見でした。世紀の難問と呼ばれ、証明まで350年も掛かったこと、にも関わらず問題文自体は中学生にも分かるシンプルな内容であること、余白がないから証明を書かなかったこと、ワイルズが一人で秘密裏に証明を行ったことなど、フェルマーの最終定理ならではの面白いエピソードがたくさんあります。まさに、事実は小説よりも奇なり、ですね。証明自体は難解すぎて世界でも数人しか完全には理解できないそうですが、『フェルマーの最終定理』のように一般人向けに説明してくれる本も多いようです。これはABC予想やポアンカレ予想といった他の難問にはあまり見られない傾向で、フェルマーの最終定理の持つ特別感が窺えます。
先月読んだ中に『すうがくでせかいをみるの』という絵本がありました。大好きな数学によって身の回りの世界を捉えるというもので、こんなところにも小さな数学者がいたようです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。