本をめぐる冒険

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『織田信長 炎の柱』紹介

 こんにちは。

 天正10年6月2日(新暦に直すと1582年6月21日)は、本能寺の変が起こった日です。織田信長は家臣である明智光秀の謀反により、天下統一を目の前にしてその生涯を閉じることとなりました。信長といえば、好きな歴史上の人物ランキングなどで1位に輝くことが多く、その人気は非常に高いです。どうしてそんなに人気があるのでしょうか。今月はそんな信長が登場する小説を読んでみたいと思います。

 1553年(天文22年)、尾張国正徳寺で信長は舅である斎藤道三と会見します。道三は油売りの商人から美濃国主に成り上がり、蝮(マムシ)と呼ばれた人物です。この会見で道三はうつけものだと思われていた信長の真価を見抜いたとも言われています。長年敵対していた美濃の国主が真っ先に信長の味方になったと考えると、天才は天才を知るということなのかもしれませんね。

 さて、今回紹介するのは、大佛次郎さんの『織田信長 炎の柱』です。またまたタイトル通り、織田信長の生涯を描いた歴史小説となります。

 

 

〇あらすじ

 酒井忠次は家康の使者として、信長へ贈る馬を連れて安土城を訪れる。質素な三河と違って絢爛な安土城の造りに圧倒されるが、信長からはさらに衝撃的な言葉を告げられる。それは家康の息子・信康の自害を迫るものだった。

 

信長の魅力、ここにあり!

 晩年の信長は自分の義理の息子に当たる信康に切腹を迫り、謀反した荒木村重の人質たちを磔にします。一見すると暴君のような信長の行動ですが、どちらも合理的な理由があります。信康の切腹は将来織田家を脅かすであろう若い芽を摘んでおくため、村重の人質殺しは抵抗を続ける石山本願寺への見せしめとするため。信長はどこまでも合理的で、常に未来のことを考えています。その反動なのか、短気で過去のことは忘れやすい傾向にあり、秀吉らは突発的な信長の怒りをいったん頭を低くしてうまくやり過ごしています。
 それができなかったのが光秀の不幸でした。学問や礼儀を重んじる光秀にとって、常に未来を見続ける信長は理解できませんでした。物語は本能寺へと繋がっていきます。光秀の謀反については突然「物の怪が憑りついた」としてしまっているのが少し物足りなくもありますが、ラストで炎の柱を立てながら燃える本能寺が信長自身の生き方を体現しているようでした。最後にタイトルの意味を回収するのがまたうまいですね。
 個人的に最も印象に残っているのは、清州城を訪れた徳姫と会った際のお市の方のセリフです。お市の方は信長の妹で近江の浅井長政に嫁ぎました。のちに信長は浅井を滅ぼした際に、長政のしゃれこうべに酒を注いで家臣たちに振舞いました。それを聞いた徳姫は鬼の所業だと恐れますが、お市の方は否定します。それは鬼ではなく、「人間がすることですよ」と。怒りや憎しみに震えることもなく、冷たく言い放つ様子はゾッとするような怖さを感じました。それと対比するように、信長は「人間のおぞましさに我慢がならない。人間が死に絶えて別のものが生まれてくればいい」と語り、信長という人間の凄まじさを感じさせます。人間のおぞましさに耐えられないと嘆く信長自身が、人間とは思えない鬼の所業を行います。それが伏線として本能寺を焼き尽くした炎によって回収されるのはなるほどなと思いました。
 ここまで読んでくださってありがとうございました。