市井の人々の生きざまを描く『いっぽん桜』紹介
こんにちは。
4月のテーマは『桜』です。3月3日の雛祭りには桜の葉で包んだ桜餅を食べます。鮮やかなピンク色の餅と塩漬けにされた桜の葉からは、一足早く春の訪れを感じますね。雛祭りのときに桜餅を食べるようになったのは、江戸時代ごろからなのだそうです。旧暦の3月は今の4月頃だったことを考えると、雛祭りの頃にはちょうど桜が満開だったのかもしれません。古くから日本人を魅了してきた桜は、数多くの小説にも登場してきました。
今回紹介する本は、山本一力さんの『いっぽん桜』です。
〇どんな本?
時代小説を多く書かれている山本一力さんによる短編集です。
名前付きの歴史上の有名人ではなく、江戸時代の町人を主人公としている点が特徴的です。主に市井での暮らしが中心に描かれ、人情小説と称されることが多いです。
〇あらすじ
井筒屋の頭取番頭を務める長兵衛は、主人から自分と一緒に店から身を引くように言われる。了承しつつもいきなりの引退に不満を抱える長兵衛。家に帰ってふと庭に一本だけある桜の木を見る。それは娘のおまきと一緒に花見をしようと植え替えたもので、毎年必ず咲くわけではないといういわくつきの桜だった。(『いっぽん桜』)
浜井和温泉で逗留中の兵庫は、道端でマムシに咬まれていたりくを助ける。りくの兄の弦太とも打ち解け、身の上話を打ち明ける。不正を犯した罪で切腹した父を侮辱された兵庫は、木刀試合を申し込んで敗北し、心身ともに傷ついていた。(『萩ゆれて』)
船着き場に3台の荷車が運び込まれ、その前に豪華な駕籠が到着する。中から現れたのは常盤屋の娘の秋菜だった。父のあつらえた雛飾りと母から教わった桜湯を前にして、彼女は涙を流すのだった(『そこに、すいかずら』)
長梅雨明けのとある日、好きでもない煙草をふかしてせわしない様子の徳蔵。その日は妻のおてるの出産の日であり、二人にとっては待望の子宝だった。生まれてきた娘は「おなつ」と名付けられ、すくすくと育っていった。(『芒種のあさがお』)
〇この『桜』がすごい!
タイトルからも分かる通り、各作品に花が登場する短編集となります。
表題作『いっぽん桜』で登場するのは咲かない桜です。現代人の私たちからすれば、桜といえば毎年美しい花をいっぱいに咲かせ、惜しげもなく散らせていくイメージです。しかし本作の桜はいわくつきの桜で、植え替えた後も年によっては咲いたり咲かなかったりします。おまきとの花見も不運が重なってうまくできないまま、彼女の嫁ぎ話が決まってしまいます。
しかも長年勤め上げた職場を追い出されることになり、それを家族に打ち明けることもできず、と勤め人の哀愁が漂います。現代でいえば、定年間際に肩を叩かれたサラリーマンといったところでしょうか。江戸時代と言えば身分社会というイメージですが、転職は今よりも大変だったかもしれませんね。
個人的に一番面白かったのは『そこに、すいかずら』でした。
74箱の桐箱に収められた豪華な雛人形と桜湯の前で若い女が静かに涙を流す、という美しくも意味深な始まり方をする本作。以降はそれまでのいきさつを回想していくという変わった構図の話になっています。紀伊国屋文左衛門が店の得意客となり、何万両にもなる材木を運ぶ大仕事を一緒にすることになるあたりは話のテンポもよく面白かったです。紀文といえば嵐の中で江戸までみかんを運ぶエピソードが有名ですが、本作もそこから着想を得たものと思われます。
江戸の華とも呼ばれる火事ですが、ここまで多発していたとは驚きです。現代でも放火は死刑になる可能性のある犯罪ですが、もしかして木造建築が多くて燃え広がりやすかったからなのでしょうか。
各話とも主人公が悩みを抱えながら花に励まされ、最終的には前向きになって終わるので、全体的に爽やかな読後感でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。