本をめぐる冒険

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男女のもつれを美しくも妖しく描く『桜の樹の下で』紹介

 こんにちは。

 4月のテーマは『』です。「桜前線」という言葉があるように、桜は南から北に向かって開花していきます。2022年の開花日は一番早い那覇で1月11日、最も遅い北海道は5月頃と予想されています。頑張れば5か月間も桜が楽しめるかも?古くから日本人を魅了してきた桜は、数多くの小説にも登場してきました。

 今回紹介する本は、渡辺淳一さんの『桜の樹の下で』です。梶井基次郎の『桜の木の下には』を意識したタイトルになっており、桜が要所要所で登場して物語を盛り上げます。

 

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〇どんな本?

 『失楽園』や『愛の流刑地』といった大人向けの恋愛小説で有名な渡辺淳一さんがそれらより前の1987年に発表した小説になります。

 本作の特徴は何といっても、タイトル通りに「桜の樹の下で」起こる男女の三角関係のもつれでしょう。

 本作が発表された当時はバブル真っ盛り。毎週末ゴルフに出かける社長が主人公で、愛人の女将が経営する京都の料亭が東京進出し、それに対し7,000万円をポンと貸し与えるといった、今とは違った景気の良さが感じられます。40代で社長を務める遊佐ややり手女将の菊乃など、登場人物たちもどこか華やかな雰囲気です。

 

〇あらすじ

 「たつむら」の女将・菊乃と深い関係にある遊佐は、彼女の娘である涼子に京都の桜を案内してもらったお礼として旅行の約束をする。菊乃には東京進出のアドバイスも行う。涼子と角館の枝垂れ桜を見に行った夜、関係を迫るが彼女は拒否しなかった。菊乃に対して罪悪感を持つ遊佐だったが、涼子の持つ若さや初々しさに惹かれ、深みにはまっていくのだった。

 

〇この『桜』がすごい!

 タイトル通りに桜の樹の下から始まる本作は、冒頭での桜のシーンが特に印象深いです。遊佐は染井吉野と枝垂れ桜の違いについて涼子に語ります。梶井基次郎の『桜の木の下で』の第一文を引用した後、

染井吉野は妖しくて哀しい感じがするでしょう。咲くときも散るときも、一生懸命すぎて切ない」

「はい」

 教師にでも答えるように涼子は堅い返事をした。

「それに比べると、枝垂れは……」

 そこまでいいかけて、遊佐が黙ると、「なんでしょう?」というように、涼子が細い首を傾けた。

「少し、淫らだ」

「みだら?」

「なにか、淫蕩な感じがしないかな」

といった風に、桜の感じ方について説明しています。いきなり口説きに掛かっているようにも見えますし、もうすでに何かが起こりそうな雰囲気を感じますね。一見美しい桜を妖しい感じに想像させ、それをうまくストーリーに結び付けるのには作家としてのセンスを感じました。こうした桜の見方に心理描写を絡める手法はこの後にも頻繁に登場し、それが本作の一番の見どころかなと思います。

 それにしても、またしても梶井基次郎の『桜の木の下には』が登場していますね。

 また本作の特徴として、3人の心理描写がそれぞれの視点で描かれている点が挙げられます。

 初めは主に遊佐と菊乃の視点のみが描かれるため、涼子が何を考えているのかいまいちよく分からない感じになっています。それによって涼子を口説く男の立場をうまく表現されています。逆に涼子との関係が深まる後半では、遊佐と涼子の心理描写が中心となります。涼子と通じ合い、菊乃から心が離れつつあることがより明確に感じられる作りになっています。そうした構成のうまさもより本作を面白くしていると思いました。

 もちろん、ドロドロになっていく三角関係やベッドシーンでの描写といった部分も深く、そして生々しく描かれています。愛人を裏切っている自覚がありながらも深みにはまっていく男の身勝手さや、嫉妬の炎を燃やしながらもそれを表面には出せない女のやり場のない気持ち、女手一つで育ててくれた母親として感謝しながらも女として負けたくはないという葛藤。それぞれの思いがこじれ、先が気になりつつも明るい未来は見えません。

 ですが、そういった生々しさや背徳感を、桜の描写や構成の妙によって読みやすいように緩和し、美しく高めているのが『桜の樹の下で』のすごさだと思いました。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。